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福生の人物

平山季重(ひらやますえしげ)
ー 福生を支配した武士 ー

ひのそういんじ もくぞう

福生の名が歴史上初めて出てくるのは平安時代末期のことです。鹿児島県の甑島に伝わる「小川系図」に、保元3年(1158)、平山季重が福生村を与えられたとの記述があります。

保元の乱(1156)で活躍した季重は、その恩賞として福生村を与えられたのでしょう。源頼朝の配下の勇猛な武将だった季重は、源平合戦のとき、宇治川の戦いや一の谷の戦いで先陣争いをしたことで有名です。

平山氏は12世紀以降、多摩川流域に勢力をもった西党と呼ばれる武士団に所属し、その本拠地は現在の日野市平山でした。福生や西多摩はこの平山氏を含む西党の人びとによって開発されたのでしょう。福生を支配した武蔵武士の平山季重は、秋川流域に勢力を持ち、あきる野市の大悲願寺や小宮神社を創建したと伝えられ、その墓所は日野市平山の宗印寺にあります。そして福生は季重の子の俊重に継承されました。

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