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福生の歴史

明治大正期の福生

明治・大正期、福生は養蚕がさかんだった

森田製糸所は、明治6年(1873)創業で、最盛期には400人を超える従業員が働いていました。

大正14年(1925)4月20日の写真。機関車が運行した。

大正14年(1925)4月20日、五日市鉄道開業日の写真です。

明治に入ると福生村と熊川村の幕府領が韮山県に、熊川村の旗本領が品川県に属します。明治4年(1871)の廃藩置県ではともに神奈川県の所属となりました。そして明治22年(1889)、福生村熊川村組合役場が発足し、明治26年には東京府に移管されました。現在の福生市の原型がここに誕生します。

この時代、福生は養蚕業や酒造業を地場産業とする農村として発展しました。特に養蚕業が発展し、多くの製糸場がありました。また明治から昭和の初めにかけて交通網が整備され、村の近代化が進んだ時期でもありました。明治27年(1894)には青梅鉄道の立川〜青梅間が開通し、福生駅が開業しました。大正14年(1925)には五日市鉄道が、昭和6年(1931)には八高線が開通したことにより、江戸時代以来、静かな農村地帯であった福生は、西多摩の玄関口となり商工業の中心となっていきました。


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