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福生の歴史

戦前戦後の福生

昭和19年(1944)4月10日、昭和天皇が福生飛行場を訪れた時の写真

昭和19年(1944)4月10日、昭和天皇が軍用機の視察のため、福生飛行場を訪れました。

終戦後は米軍気象班が使用

戦後米軍の気象班が使用していましたが、平成15年に老朽化のため解体されました。

昭和時代になると福生は大きな転換期を迎えます。これまで福生の産業の中心であった養蚕業が、昭和恐慌により相次いで閉鎖となりました。その後昭和11年(1936)に陸軍航空立川支廠(熊川倉庫)が、昭和15年(1940)には陸軍多摩飛行場が建設されます。この多摩飛行場内には陸軍飛行実験部がありました。この組織は後に陸軍航空審査部となり、飛行機や燃料、銃器など陸軍航空に関するあらゆる兵器の開発とテストを行なっていました。そしてこの年福生村と熊川村が合併し福生町が誕生し、今後は基地の町として発展していくこととなります。

昭和20年(1945)8月15日、日本は終戦を迎えました。その年の9月、福生に米軍が進駐し、陸軍多摩飛行場は米軍横田基地として生まれ変わりました。そして福生町は昭和45年(1970)年に市制を施行し、福生市が誕生しました。昭和以降、基地の町として発展した福生市は、現在は武蔵野の面影を遺し、東京近郊の都市として発展するかたわら、地域の伝統と先人からの文化財を継承し、21世紀に新たな発展を続けています。


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